2015年12月17日木曜日

保守派、右翼(ネトウヨ含む)は実は天皇の努力を冒涜している真の反日売国奴だ!隠された真実!

まずはこの記事を。
62年11月に当時の日本の皇太子夫妻(現天皇皇后)がフィリピンを訪れた際に新聞記者としてその時の模様を取材したナルシソ・パディリア氏の思い出:
「当時は太平洋戦争終結からわずか17年後。旧日本軍に対する憎悪が渦巻く中の訪問だったが、パディリアさんの記事は冒頭で「沿道で数千人の市民が皇 太子、皇太子妃の車列を笑顔で迎え、冷たい歓迎を受けるのではないかという臆測を吹き飛ばした」とバギオ市民による熱烈な歓迎ぶりを伝えた。
 「臆測を吹き飛ばした」は実は、パディリアさんの心の内をも投影した表現だった。戦争中の少年時代、姉と二人で野菜を担いで帰宅する途中、旧 日本軍の憲兵隊に奪われ、殴られた。山の斜面でイモを掘っていると、日本兵に狙撃の標的代わりにされた。さらに、祖父は旧日本軍に殺され、抗日ゲリラとの 関係を疑われた父親も約1年間にわたって投獄された。
 戦中から戦後、旧日本軍、日本はパディリアさんにとって「怒りと恐怖の対象」だったが、記者として「常に笑顔を絶やさない男前の皇太子、美しい皇太子妃」、「公設市場に足を運び、野菜などを目にして素直に驚く姿」に接して、怒りの感情が氷解するのを感じたという。」

1962年当時フィリピンでは、
・(保守派・右翼の言い分によれば、白人による東南アジア諸国の植民地支配からの開放のために戦ったとされる)日本軍に対する「憎悪が渦巻いていた」 。
・彼自身も収穫した食べ物を奪われ、殴られた。
・祖父は旧日本軍に殺された

彼にとっては日本は「怒りと恐怖の対象」だった。

ココまで読んだだけでも当時の日本に対しては「親日感情」がなかったのは言うまでもない。

しかし、皇太子・皇太子妃の笑顔・市民生活の中に自ら足を運び交流する姿に「怒りの感情が氷解」したとある。どこにも「あの戦争は白人による東南アジア諸国の植民地支配からの開放のために戦った日本軍」だから怒りの感情が氷解したとは書いていない。
 彼が現在親日であるのは、日本の代表者(皇太子・皇太子妃)が前向きな姿勢で接したからに他ならない。
反日であったフィリピン人を、日本の代表者が出向いて交流したからそうなったのだ。
大変な苦労と危機感もあったと思う。

翻って今の日本の保守派・ 右翼(ネトウヨ含む)の言い方はなんや。
今東南アジアが親日なのは、日本が「白人による東南アジア諸国の植民地支配からの開放のために戦った唯一のアジア民族」やったとな。
そんなん言うてるからいつまでたっても誰も本当のところでは心を開いてくれへんのとちゃうか?

本当に反日売国奴なんは、他人のこと反日や、売国奴や言うてる保守・右翼とそれに賛成してる日本の愚民やで。
お前らこそ真の反日売国奴や!
ゴキブリのほうがまだ綺麗や。




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